得生寺
得生寺
奈良時代の天平19(747)年丁亥に時の右大臣藤原豊成卿夫妻が、長谷寺に祈願して誕生したのが中将姫で、姫が3歳の時に母の紫の前が亡くなり、7歳の時に父の豊成卿が照代の前を後妻に迎えました。
姫は成長するにつれ容姿端麗で聡明その上何事にも優れていたので、継母は次第に姫を憎むようになり、姫13歳の時に密かに伊藤春時という家臣に命じて、紀伊の国雲雀山で姫を殺害しようとしましたが春時はかえって姫の徳に打たれ、都より妻を呼び寄せ夫妻で姫を守り育てました。
3年後の天平宝字5(761)年に豊成卿が猟に来て姫と涙の再会を果たし、都に帰りましたが17歳の時に当麻寺で剃髪して法如と名乗り、有名な当麻曼荼羅を織り上げましたが、宝亀6(775)年卯月14日に25菩薩に迎えられ、29歳で波乱に満ちた生涯を閉じました。
得生寺では毎年、姫の命日に当たる5月14日に執り行われる来迎会式で、小学生たちが25菩薩に扮して、開山堂より本堂へ山内を練り歩く二十五菩薩練り供養は、昔からの仏教文化の一端を知る貴重な行事といわれています。
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和歌山県有田市糸我町中番229
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